安倍夜郎『山本耳かき店』

安倍夜郎
『山本耳かき店』
小学館
2010年


耳の中にある小宇宙



安倍夜郎といえばロングセラー化&ドラマ化で『深夜食堂』が有名だが、それは実を申せば世を忍ぶ仮の姿。ご本人がやりたい本筋はこちら、実質的デビュー作の『山本耳かき店』だ。女性が耳かきをしてくれる小さなお店を舞台に、郷愁をそそる物語がじわっと艶っぽさを添えて語られる。念のために言うと、本作が描かれたのは風俗まがいの耳かき店がそこら中にできて繁盛するようになる前のこと。『深夜食堂』は日常ベッタリで下世話な作品だが、本作では作者が持っている大胆で官能的な側面が画に表れていて、時によると実験的ですらある。単行本がたくさん売れる路線ではないことは痛いほど良く分かる。作者は影響を受けたマンガ家に滝田ゆうの名を挙げていた。滝田の芸は一世一代のもので、跡を継ぐマンガ家は遂に現れないのではと思っていたが、より洗練された線と簡潔な描写(作者は「面倒くさいのが嫌いなだけ」と照れる)に進化を遂げて生き延びていたのだ。『深夜食堂』がお好きでこちらが未読の方には、作者にしか描けない真骨頂を是非とも本作で味わってほしい。


(O)